圭秀の修行日記


「人参ではなくせめて大根に」

 明けましておめでとうございます。皆様におかれましては、恙なく新年を迎えられましたこととお慶び申し上げます。年頭に当たり、各々家門のご清福をお祈り申し上げます。

 さて、私は但馬でお世話になるようになって二度目の歳男を迎えました。青森県出身の私は、理工系大学卒業後はCTやMRIといったレントゲン機器を製造、販売する会社に就職しますが、二十代半ばになって出家を志しました。宗派を問わず東北、関東、北陸の寺の門を叩き、出家についての話を様々な僧侶から伺いました。福井県の宝慶寺を訪れた際、堂長様より青森県出身で大本山総持寺の貫首をつとめられた西有禅師様と深いご縁のある寺を紹介していただきました。そのお寺が永源寺でした。「光陰矢の如し」と申しますが、12年前の歳男の際には、「思えば遠くへ来たものだ」という題名で、遠い青森県から転居してきた時の思い、サラリーマン生活から別世界への転身、寺の在り方を一から学んだ時の大変さ等々の所感を書かせて頂きました。

 12年前の当時を振り返りますと、現代は世の中の移り変わりや仕組みが大きく変わったような気がいたします。少子高齢化、人口減少が叫ばれる中、情報伝達技術は目覚ましい発展を遂げました。各業種で人材不足が叫ばれていますが、このことは寺院においても然りで、一人の僧侶がいくつかの寺院を兼務するという状況が生まれつつあります。その反面、外国からの参禅希望者は増加の一途をたどり、グローバル化の波はここ数年大きさを増しています。英語圏以外からの参拝者となると、言葉の壁という問題が起きてきますが、2018年、県立八鹿高校からの依頼でタイ王国からの交換留学生が参禅で訪れた時には、私自身、その壁にぶつかりました。悩んだ挙句、動画投稿サイトを使い、過去に永源寺で開催された坐禅会の様子を視聴しながらその作法などを説明したことがあります。

 明治時代の高僧、西有禅師様(総持寺独住三世)は「人参ではだめだ、せめて大根になれ」とおっしゃっていたそうです。仏の教えを “先細りさせてはいけない”という意味です。昨年元号が変わり、新しい時代の幕が明けられました。国内外共、時代の移り変わりの中で仏の教えを伝えていくのにどのような在り方が求められるのか、私自身の独自性を引き出しながら今年も試行錯誤が続きます。


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